栃倉酒造(株)

地域 中越
代表銘柄 米百俵
住所
新潟県長岡市大積町1-乙274-3  Gooleマップを見る

栃倉酒造は新潟県長岡市大積地区に位置する酒蔵です。
創業1904年、代表銘柄は「米百俵」。
新潟らしい淡麗な食中酒には定評があります。

長岡の歴史と米百俵

江戸時代の1616年、現在の新潟県中越地方に長岡藩が置かれ、城が築城されました。
現在の新潟市までも含んでおり、大きな藩として栄えました。
江戸後期なると、城主の牧野家は徳川家との関係を強め、江戸幕府の最高職である老中にもなりました。

一方全国的な動きとして1853年黒船でペリーが来航し、開国を日本に迫ります。
1854年に日米和親条約が結ばれ、開国をすると薩摩藩、長州藩などが討幕運動を起こします。
1867年には徳川慶喜が明治天皇に政権を返上したことで、大政奉還が起こります。
こうして明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らは新政府軍となり、一方ではその政府に従わなかった藩が同盟を組んで対立しました。
このような対立がきかっけとなり1868年に戊辰戦争が勃発します。

当初、それらの対立において長岡藩は中立的な立場でした。
藩士の一人である小林虎三郎も戦争を避けようと訴えていました。
しかし最高司令者であった河合継之助は新政府軍と対立し、ついには戦争に至ります。
河合は藩を強くするためにアメリカから日本で3機しかないうちの2機のガトリング砲を手に入れるなど大量の最新兵器を購入しました。
その兵器により一時は奪われた長岡城を奪還するなど善戦をしました。
しかし、河合の軍は新政府軍の圧倒的な軍事力の差や、庶民の反抗があり敗戦します。

長岡藩は新政府から罰を受け、非常に厳しい財政事情に陥ります。
生活困窮者が増え、飢えや泥棒なども多発しました。
そのように困った状況を見て、血縁関係のあった三根山藩から援助物資が届けられました。
それが百俵分の食米であり、米百俵と言われます。

米百俵を学校建設に充てた小林虎三郎

しかしその際、長岡藩の最高役職であった小林虎三郎は、米を分配せず、それを売却し学校建設に充てることを唱えました。
当然小林は、生活に窮乏し米の分配を望む藩士から猛抗議を受けます。
それは刀を向けられたり、妻が暗殺されるほどの反抗であったとか

それでも小林は引かずに、学校建設を求めました。
それは以前より小林が戦争や貧困をなくすためには、教育が必要と考えていたからです。
小林は勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬などを輩出した佐久間象山から教えを受けていたことに由来します。

小林は反対する藩士たちを前に「常在戦場」を訴えました。
これは長岡藩の城主である牧野家が代々教えてきた信仰です。
常に戦場である心を持てば、一時の飢えは我慢できるはず。
すぐに無くなる米よりも、教育によって人材を育成すれば、百俵の米は、何万俵やそれ以上になって返ってくるはず。
そのような小林の説得に促され、米百俵は売却され学校が建設されました。

この学校は国漢学校と言い、洋学局、医学局も設置され、さらに藩士だけでなく町民や農民の子どもも入学を許可されたのです。
国漢学校はその後に、長岡洋学校となり、山本五十六など数多くの秀才を輩出しました。
これを期に、国でも1871年に文部省が設置され、日本最初の学校制度を定めた教育法が創られたと言います。

この米百俵の逸話は、現在の辛抱が将来の大きな利益となる例えとして引用されています。
栃倉酒造では、地元長岡から生まれたこの理念を後世に残すため、酒の銘柄として「米百俵」を使用しています。

長岡市大積地区の環境

越後丘陵公園

栃倉酒造の位置する大積地区は、長岡市の郊外にあり隣の柏崎との境界にもあたります。
山と山に挟まれたアップダウンが激しく、丁度窪地になった平地に蔵があります。
ほんの近くには、国営の越後丘陵公園や鯉の養殖所があるなどがあり、自然に恵まれた場所であることを実感できるでしょう。
特にこの丘陵公園は北陸地方で唯一の国営公園で、広い面積を持ち日本でも最大級の面積の公園のひとつです。
公園内には大きな芝生スペースや、レストラン、アスレチック施設、休憩施設、キャンプ場、展望台などがあり、長岡市民の憩いの場となっています。
またライブ会場にも使用され、多くの有名人がここで演奏を行いました。

米作りも盛んに行われています。
山間地に囲まれた地区は、日中は光が差し、夜には冷え込むので温度差が大きく米作りには絶好の場所。
酒造りに適した米も栽培されており、栃倉酒造ではこの酒米も使用しています。
夏には米を栽培する蔵人もおり、地元の米、水を活かした酒造りにこだわります。

そのため栃倉酒造では、裏山の湧水を引いて仕込み水としています。
軟水でミネラル分が少ない水は淡麗旨口の酒造りに向いているとか。
創業者はこの水に惚れ、この地に蔵を作ったと言います。
水の特徴を活かしたスッキリした飲み口で、キレのある後味の酒を目指し酒造りが行われているのです。

栃倉酒造の技術力とこだわり

現代の名工とは、卓越した技能者表彰制度に基づき、厚生労働大臣によって表彰された技能者のことです。
料理家の道場六三郎氏や三國清三氏、着付けの市田ひろみ氏などを始めとする金属加工、機械組立・修理、服飾、調理などの優秀な技能者が評価されています。

この栃倉酒造の前杜氏として、現代の名工にも選ばれるなど、数々の受賞歴を誇る郷 六郎次氏が酒造りを行っていました。
彼は、プロ中のプロしか出品できない、越後流酒造技術選権という大会で2度の最高賞も受賞するなど、全国でも屈指の技術を誇る杜氏でした。
栃倉酒造は、現在でもそれほどの技術力を、受け継いでおります。

「米百俵」の名の通り、この酒蔵は目先の利益ではなく、未来を見据えた投資を行っています。
そのため他よりも新しい製法をいち早く取り入れています。
例えば純米酒の製造への取り掛かりは、新潟県内の他蔵に比べて圧倒的に早く行いました。
他にも、より丁寧に仕込めるよう、小仕込みのタンクを増設しました。

また全量酒米で酒を醸す技術も2016年より開始しました。
よく酒は酒米で仕込まれるのでは、と思われています。
しかし、酒米は飯米(たべることを目的とされた食米)に比べて値段が高いので、普通酒などの掛け米などは飯米で代用されています。
新潟では、成長が早い新潟早生や一般米と称される食米を使用しています。

しかし栃倉酒造では、飯米には雑味の元となる要素も多くなると考え、これらの使用をやめたのです。
当然コストは高くなってしまいますが、この蔵では最高の味わいを出すために原材料をケチることはありません。
現状の常識を翻してまで、美味い酒を作るために新しい技術を模索しているのです。
これぞ現代の名工の技術の承継ではないでしょうか。

栃倉酒造の酒は酒質と価格だけを比べると割高に感じるかもしれません。
「普通酒なのに高い」と誤解されることもあるのだそう。
しかし、普通酒だからまあまあの味というわけではなく、それだけの価値が詰まっているから当然値段が高くなってしまいます。
本醸造にしても、吟醸酒以上の精米を行っているので、それに見合った金額となっています。

大吟醸なのに激安!という安売りの酒が散見されます。
そのような酒は、当然何かしら手を抜いているから安くなるわけです。
しかし栃倉酒造では真逆の考え方を貫きます。
酒質や表示などにとらわれず、飲んだ直感で酒は味わってほしい、そんな想いが伝わってきます。
ですので米百俵を飲む際は、酒質にこだわらず、その味わいの旨味を十分ご堪能ください。

酒蔵にはその土地の歴史、伝統、風習などと深い関わりが有ります。
栃倉酒造は、その名前からまさに長岡の歴史を物語り、その本来あるべき姿の製法を頑なに守っている酒蔵なのです。

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