高の井酒造(株)

地域 中越
代表銘柄 越の初梅
住所
新潟県小千谷市東栄3-7-67  Gooleマップを見る
URL
http://www.hatsuume.co.jp

高の井酒造は、新潟県小千谷市に位置する銘醸で「高の井」「越の初梅」の製造元です。
今では雪国のお酒として有名になった、雪の中で熟成させる製法「雪中貯蔵」発祥の酒蔵です。
高い煙突が特徴的で、地元のシンボルとなっています。

新潟県小千谷市の風土

小千谷市は新潟県のほぼ中央に位置し、上・中・下越と分かれる県内で、中越地方に属しています。
東西南部は丘陵に囲まれており、北部は越後平野へと続く平地となっています。
南部からは、信濃川が流入し蛇行しながら、中小河川と合流したり分離したりと複雑に入り組んでいます。
山に囲まれながらも、所々水流に削られた結果、隆起が激しく地形が形成されてきました。

このように地理的に平野部と山間部の中間地点であり、歴史的には守備の拠点として、また休憩する宿場町として栄えてきました。
例えば高崎から寺泊に向かう三国街道、東京・京阪から善光寺に向かう善光道などの主要な街道の通り道でした。

戦国時代~江戸時代まで河川が物流には欠かせませんでした。
上杉謙信の時代から、魚沼郡内で作られた着物の原料である青唐や織物が小千谷で集積され、柏崎の湊から京都、大坂、江戸に輸送されていたとされています。

小千谷市の文化

そのような小千谷市は、昔より多くの人たちが集まり、様々な文化が交わっていました。

国の重要文化財がある魚沼神社は、平安時代から祀られている由緒ある神社があります。
上杉謙信が関東へ出陣する際は、この魚沼神社に参りに来ていたそうです。
謙信は、この社で神々の姿を見たと言われており、軍神と呼ばれるほどになりました。

19世紀前半の江戸時代のころ、小千谷市で食用として飼われていた鯉に突然変異種が現れたのがきっかけで、錦鯉を養殖する文化が始まりました。
この地域では冬期の非常食用として休耕田に鯉を養殖していました。
土地の起伏が激しく、鯉が野鳥から逃げる隠田が多く存在しており、突然変異による鯉を飼育し、交配が進んだことが要因です。
小千谷の錦鯉は「生きた宝石」「泳ぐ芸術品」とも呼ばれ、世界から多くの引き合いがあります。

また高級着物である小千谷縮(おじやちぢみ)もこの土地ならではの文化です。
この土地周辺には、苧麻(からむし)と呼ばれる織物の材料となる植物が多く自生していました。
平安時代から貿易手段として、京都と大きな貿易を行っていました。
現在でも高級織物として、国際的にも大きな評価を受けています。

またこの織物には、「ふのり」と呼ばれる海藻が使われていました。
やがて、この土地で栽培されるそば粉と合わせた独特の食感が残る蕎麦は「へぎそば」として新潟を代表するグルメとなっています。

また小千谷市片貝地区で行われる片貝まつりの花火大会は、世界一の大きさを誇る四尺玉の花火が上がることで有名となっています。

このように新潟銘醸の位置する小千谷市には、たくさんの文化的な魅力があります。

高の井酒造の発祥

年代ははっきりと分かっていませんが、江戸時代後期より山崎家の家業として山崎酒造場が小千谷市片貝村の”高”梨地区で営まれておりました。
1300石まで製造を伸ばしていたと言いますから、当時としては大きな酒蔵でした。
この酒蔵が後の高の井酒造へ発展をします。

また山崎醸造を設立し、酒蔵に隣設する工場で味噌と醤油を造り始めました。
軍に味噌や醤油を納めていた歴史もあったようです。

1937年に、この村で大きな火災があり、神社や工場、多くの民家が消失しました。
山崎酒造場も大きな爆発音とともに倒壊しました。
この事柄を機に蔵は現在の場所に移転し、酒蔵の再建を図りました。

しかし世界では大きな変化が起こっていました。
1939年にドイツがポーランドに進行、イギリス・フランスがそれに対抗したことで第二次世界大戦が勃発します。
1943年になると、戦火が広がり物資不足に陥ります。
コメが不足し多くの酒蔵が閉鎖し、山崎醸造もやむなく廃業となりました。

戦争が終わり、平和が訪れた1955年、酒造免許の復活が認可されるようになりました。
複数の酒蔵が合同で復活をすることになり、高の井酒造株式会社が創立されました。
その際に山崎家から社長が選出されました。
「高の井」の意味は、山崎酒造場の焼失前の所在地であった、高梨と井戸から由来をされて名付けられています。

雪中貯蔵への挑戦

国鉄がJRへと民営化された1987年、高の井酒造は日本で初めて酒をタンクごと雪に埋め込む雪中貯蔵に挑戦しました。
一般的には、温度変化の少ないサーマルタンクの中で、お酒は貯蔵され熟成します。
昔は土蔵つくりの建物で蔵の中の温度を一定に保っています。
現在でもエアコンなどで低い温度で貯蔵を行っています。
しかし、これらは電気に頼った保存方法であり、また温度のブレを100%無くすことはできません。

そこで、高の井酒造は雪室熟成を考案します。
雪の中でお酒を貯蔵することで、電気代がかからずエコな製法となります。
また雪の中は常に温度、湿度が一定に保たれます。

まずは屋外のタンクに生酒を詰めて、その上に雪を被せて山を作ります。
100日後、タンクの酒の成分を分析してみたところ、雪中貯蔵する前後でアルコール度数も日本酒度、酸度、アミノ酸度も、数値の変化は全くなかったと言います。
お酒がコールドスリープされた状態です。
しかし口に含むと明らかにまろやかになっており、とろみさえ感じたとか。
これはコールドスリープながらも、旨味を構成する成分のみ熟成が進んだと考えれます。

こんな味わいは面白すぎるということで、ニュースがまたたく間に全国放送され、高の井酒造の名前は一気に全国に知られることになります。。
今は純米吟醸用の1万ℓと純米大吟醸用の5000ℓのタンク2本で雪中貯蔵を行い、毎年5月にお披露目会を蔵で開催されます。
そのイベントはあまりの人気で、200名の枠は争奪戦になるとか。

もともと雪国では冬を越すために、野菜を雪の中に貯蔵する風習がありました。
例えば人参や大根を雪中貯蔵をして冬季の栄養分を確保していました。
ここからヒントを得て、昭和62年日本で初めて酒をタンクごと雪に埋め込む雪中貯蔵を試行錯誤で始めたそうです。

米作りにも積極的に取り組みます。
この地区は魚沼地区であり、農民たちは、より高値で売れるコシヒカリを作ります。
地元に根差す酒のためには、地元の協力が欠かせないと、平成9年に酒米を育てるプロジェクトを開始しました。

プロジェクトでは、米づくりから酒づくりに参加できる会員を募集。
日本酒製造の面白さを体験を通して学び、楽しんでもらおうというイベントです。

同年、地元青年農業士グループ「魚沼倶楽部」との契約栽培を開始し、契約栽培の一本〆を栽培しています。
栽培米純米酒として発売され好評を得ています。

中越地震の象徴として

2004年(平成16年)10月23日に、新潟県長岡市を震源とする震度7の大地震が起きました。
震源近い高の井酒造では、建物が損壊。
何よりも蔵のシンボルである、高い煙突がポッキリ途中で折れてしまいました。
テレビ朝日報道ステーションで古舘伊知郎氏が、その様子を背景に実況を行っていました。
よもや大災害によって、高の井酒造は再度全国的に取り上げられることになってしまいました。

しかし高の井酒造が地震に負けることはありませんでした。
それまで、推進してきた高度な技術化をさらに加速させるようにしました。
鑑評会での成績がそれを物語るでしょう。
この蔵は災害を通じて、より高品質で人気の酒を生み出すことに成功しました。
平成16年 平成16年全国新酒鑑評会 金賞
平成16年関東信越国税局酒類鑑評会 優秀賞
平成17年 平成17年関東信越国税局酒類鑑評会 優秀賞
平成18年 平成18年関東信越国税局酒類鑑評会 燗審査の部 優秀賞
平成19年 平成19年全国新酒鑑評会 金賞
平成19年関東信越国税局酒類鑑評会 常温審査の部 優秀賞
平成19年関東信越国税局酒類鑑評会 燗審査の部 優秀賞
平成20年 平成20年関東信越国税局酒類鑑評会 吟醸酒の部 優秀賞
平成21年 平成21年全国新酒鑑評会 金賞
平成22年 平成22年関東信越国税局酒類鑑評会 純米酒の部 優秀賞
平成23年 平成23年関東信越国税局酒類鑑評会 純米酒の部 優秀賞
平成24年 平成24年関東信越国税局酒類鑑評会 純米酒の部 優秀賞
平成25年 平成25年関東信越国税局酒類鑑評会 純米酒の部 優秀賞
平成26年 平成26年関東信越国税局酒類鑑評会 純米酒の部 優秀賞
平成28年 平成28年関東信越国税局酒類鑑評会 純米酒の部 優秀賞
平成30年 平成30年関東信越国税局酒類鑑評会 吟醸酒の部 優秀賞
平成30年関東信越国税局酒類鑑評会 純米吟醸酒の部 優秀賞
平成30年関東信越国税局酒類鑑評会 純米酒の部 優秀賞
平成30年全国新酒鑑評会 金賞

コンテンツ

外部リンク

Page Top