妙高酒造(株)

地域 上越
代表銘柄 妙高山
住所
新潟県上越市南本町2-7-47  Gooleマップを見る
URL
http://www.myokoshuzo.co.jp

​新潟県と長野県にまたがる標高2454mの妙高山。
妙高酒造はその名にちなむ清酒「妙高山」を醸す新潟県上越市の酒蔵です。
淡麗ながらも、コクがある味わいが特徴的な酒です。

上越市の環境と歴史

冬の妙高山

妙高山は成層火山で、日本百名山に選定されている美しい山です。
新潟県を代表する山であり、越後富士(えちごふじ)の異名を持ちます。
また麓には温泉が沸き、冬期ウィンタースポーツのリゾートとしても人気です。

古く石川県から新潟県は古志国(こしのくに)と呼ばれていました。
それが「越の国」となり、妙高山は国の中間にあったことから、古くは「越の中山」(こしのなかやま)と呼ばれていたようです。
奈良時代初期に、好字二字令という法令が出されます。
複数の漢字名を二字にするというもので、代表的には倭 (やまと)は倭を和に変え、大をつけて大和(やまと)とされました。
「越の中」→「名香」→と当て字され、それが「みょうこう」と読まれるようになり、「妙高山」と変化したようです。

妙高酒造が位置する上越市は、新潟県の南西部に位置する新潟県で3番目に人口が多い地域です。
1971年に古くから関係のあった高田市と直江津市が合併されて発展をしてきました。
戦国時代には上杉謙信が春日山城を構え、また江戸時代には高田藩の高田城があったため、古くから城下町として栄えてきました。

現在は春日山城の跡地である高田公園は桜の名所として日本三大夜桜として有名になっています。
周辺には約4000本の桜が、3000個以上のぼんぼりとライトによって照らされる景色は実に見どころがあります。

妙高酒造の前身と創業

妙高酒造は、引間(ひきま)酒造場が元となり、信慶(しんけい)酒造場を合併して誕生した酒蔵です。
信慶酒造場は1815年の創業で、現在形が変わっても、妙高酒造ではこの年を創業としています。

信慶酒造場は当時でもかなり大きな製造量だったようで、多額の税金を納める名家だったようです。
1894年日清戦争が起こり、朝鮮半島と台湾をかけ日本と清国との戦争となりました。
この酒蔵では「日本軍正宗」という酒を造り、戦争下の中国大陸に向けて輸出をしたのです。
その他にも様々な事業を展開し、実業界に多大な功績を残しました。
当時は、一定以上の税金を納める25歳以上の男しか、選挙権がありませんでした。
それほど選挙が規制されていた時代でしたが、1902年には蔵主が現在の衆議院である帝国議会議員になるほどの名家でした。
しかし1912年大正時代に入ると時代は一変します。
大正デモクラシーが起こり時代の風潮が変化すると、信慶酒造場は一転して、厳しい財政状況になったそうです。

一方の引間酒造場は、地元の名商家であった引間家が1870年に上越市柿崎区で創業した酒蔵です。
引間家は厳しい財政状況であった信慶酒造場を買い取り、1916年に引間酒造場の高田支店として再出発させます。

1929年に世界大恐慌が起き、日本も深刻なデフレ不況に陥りました。
それを引き金に1937年に日中戦争に入ると、米は戦略物資とされ軍需用が最優先となりました。
多くの酒蔵は酒がまともに製造できなくなってしまいます。
引間酒造場でも一時は製造できない時期もありましたが、苦難を乗り越えます。
1945年以降は酒蔵を復活させ、1956年に引間酒造場は妙高酒造株式会社として法人化しました。
2009年に引間家は後継者問題から、蔵の権利を売却しました。
しかし平田杜氏などの有力な職人たちは蔵に残り、それまで続いてきた革新の精神と共に現在も旨い酒を造っています。

妙高酒造の技術力

1986年から経営者が交代し、様々な変革を行い、妙高酒造を立派に成長させました。
1988年に杜氏となる、平田正行氏の存在が大きく影響します。
現在に繋がる高品質へと路線を転換していったのです。

越後杜氏は三大杜氏(四大杜氏とする場合もあります)として、三島杜氏、刈羽杜氏、頚城杜氏と系統があります。
彼らは酒造りのノウハウを伝授し、その技術を磨き上げていました。
平田杜氏は、頚城杜氏の郷として名高い頚城区の米農家の次男として生まれました。
父親と同様に、春から夏は農家として、秋から冬には酒蔵で修業をします。

おりしも時代は三増酒と言われる酒が多く、酒の品質が悪かった時代です。
三増酒とは清酒を水で希釈し、醸造アルコール、糖類、酸味料、グルタミン酸を添加して約3倍に増量されたびしゃびしゃした味の酒でした。
第二次世界大戦後、米不足が深刻となったため、そのような酒が多くなったのです。

この頃、協和発酵を見学し、黎明期の吟醸酒に出会ったことから、平田氏は目指す酒を決めたと言われています。
平田氏はその後、国税庁醸造試験場を経て妙高酒造に入社しました。
そして当時としては異例の若さである38才で杜氏となりました。

その時代は、麹造りなど夜間の作業も多く、住み込みの蔵人も数多くいました。
麹で失敗すればすべてが水の泡となるため、寝ずの番までもしていたそうです。
そこで妙高酒造は杜氏とともに、人が動きやすく、温度や空調管理機能も整った麹室に改良しました。
就業や作業も見直し設備を整え、少しでも負担のかからない体制へと移行させました。
それが現在でも立派に残るこの蔵の麹室となっています。

また妙高酒造の大きな特徴として、全て自社で酵母を培養し、使用していることが挙げられます。
妙高酵母と呼ばれるものが存在し、この酒蔵独自の秘伝となっています。
ひとつは9号系酵母をルーツに持ち、成長が強く、速い発酵に適している酵母。
それに対して、一方は増殖もおだやかでスムーズに進む酵母。
それら2種の酵母を効果的に投入し、酒造りの生かしています。
これは、異なる種類のぶどうまたは果汁を混ぜて作るワインの製法から「混醸仕込み」と呼ばれています。

瓶燗技術もこの蔵に大きな貢献をした技術です。
日本酒は火入れと呼ばれる加熱殺菌の工程があり、大型タンクで処理を行います。
しかし妙高酒造では1本ずつ瓶に入れた後、湯煎で加熱殺菌を行っています。
これにより、生酒の風味をそのまま酒に閉じ込めることができ、香りやコクが格段に上がるのです。
雪月花シリーズなどはその代表格で、華やかな場に映える酒でした。

それらの努力の成果により、平田杜氏は、
全国新酒鑑評会で11回の金賞受賞。
越後杜氏の技術選手権で1位を獲得。
2009年に「全技蓮マイスター(酒造の部)」(全国技能士連合)に認定。
2010年に「にいがたの名工」(新潟県)に認定。
と新潟屈指の名杜氏と言われるまでになりました。
同時に妙高酒造の酒も人気が上昇します。

こだわりと新たなチャレンジ

上越市には吉川区と呼ばれる地域があり、酒米の産地としてを新潟を筆頭する名産地です。
妙高酒造では、越淡麗や五百万石などの米を中心に上質な新潟県産米を主に使用しています。
杜氏をはじめ蔵人の多くは農家で、夏の間は米作りを行う兼業農家とのこと。
農家として米に関わることで、自分たちの作った米を酒造りに生かせます。
稲の生育期や成熟期の様子や、土地の特性などを知っているため、米の良さを最大限に引き出せるといいます。
中でも平田杜氏は、米作りのプロでもあり、彼の育てた米によって造られた特別純米酒は絶品。
すぐに完売になってしまった幻の酒でもあります。

水は敷地内にある地下130mの井戸から得られる妙高山系の伏流水を使用している。
ややミネラルを含む軟水で、米の旨味を引き出します。

現在でも平田杜氏から連綿と続く技術は、新たな妙高酒造にも引き継がれています。
良い酒を世界へ、と、輸出に積極的に取り組んでいます。
濃厚な料理や香りの高い料理、脂の多い鶏料理などとの相性を意識した酒も開発されています。
今後も妙高酒造の革新による良酒造りは続いていくでしょう。

主な受賞歴
2014年
全米日本酒歓評会(U.S. National Sake Appraisal)トリプル金賞 銀賞受賞 グランプリ獲得
全国燗酒コンテスト2014「プレミアム燗酒部門」金賞
「 IWC2014」 第一位トロフィー受賞 銀賞銅賞受賞
2015年
全米日本酒歓評会(U.S. National Sake Appraisal)ダブル 金賞 銀賞受賞
全国燗酒コンテスト2015 金賞
「ワイングラスでおいしい日本酒アワード2015」ダブル金賞受賞
2016年
全米日本酒歓評会(U.S. National Sake Appraisal) 金賞 五冠受賞
「ぴあ日本酒フェスティバル2016春酒祭」蔵元グランプリ
「ワイングラスでおいしい日本酒アワード2016」トリプル金賞
「雄町サミット2016」吟醸酒部門 優秀賞受賞
2017年
全米日本酒歓評会(U.S. National Sake Appraisal)純米部門 銀賞受賞
全国燗酒コンテスト2017「お値打ち熱燗部門」最高金賞受賞
「KURA MASTER」(フランス)金メダル
「 IWC2017」 金メダル、銀メダル受賞
「ワイングラスでおいしい日本酒アワード2017」トリプル金賞
2018年
「ブリュッセル国際コンクール(CMB)」「SAKE selection」プラチナ賞受賞
全国燗酒コンテスト2018「お値打ち熱燗部門」金賞受賞
「 IWC2018」 金メダル、銀メダル受賞
「ワイングラスでおいしい日本酒アワード2018」ダブル 金賞受賞

他にも受賞歴多数

コンテンツ

外部リンク

Page Top