天領盃酒造(株)

地域 佐渡
代表銘柄 天領盃
住所
新潟県佐渡市加茂歌代458  Gooleマップを見る
URL
https://tenryohai.co.jp/

天領盃酒造は、新潟県佐渡市 加茂歌代の酒蔵です。
前身の佐渡銘醸を引き継ぎ、当時24歳という若者が生まれ変わった銘酒「天領盃」を醸しています。

蔵元周囲の地域環境

佐渡島は東京23区の大きさに匹敵する広さを持つ、日本海の島です。
北に「金北山」を頂点に広がる大佐渡山地と、南の山に挟まれる形で、中央に平野があります。
金北山は佐渡島内で最も高い山で山脈を成しています。
新潟から佐渡島までジェットフォイルで約1時間。
大佐渡山地は、島に着く前に海上から観光客に雄々しい姿を見せてくれます。

この山脈からの豊富な雪解け水が平野に流れこみ、米作りなどに利用されています。
佐渡の米と言えば、魚沼地区、岩船地区に並ぶ米の名産地です。
島の東側に両津湾という漁港とターミナルがあり、観光客はまずここに着くでしょう。
「こち亀」でおなじみの両津という名前はこの地名が由来になったとか。

両津湾の近くには、海と繋がった湖として有名な加茂湖があります。
加茂湖は日本百景の一つであり、また周囲約17キロメートルにおよぶ大きさは、新潟県で最大の湖でもあります。
元は淡水の湖でしたが、明治時代に氾濫を防ぐために整備され、海とつながりました。
湖岸は遊歩道が整備され、古くから歌にも詠まれた風情ある景色を楽しめます。
特に牡蠣の養殖が有名で、大ぶりで凝縮した味があると評判です。
年に1度、水揚げしたばかりのぷりぷり牡蠣が食べられる牡蠣祭りも催されています。

金北山を望み、両津湾、加茂湖の近くに天領盃酒造は位置しています。
まさに絶景で、自然豊かな環境で酒造りが行われています。

佐渡島の歴史と酒名の由来

佐渡島には古くから人が住んでおり、その歴史は「古事記」や「日本書紀」にも記されています。
ただ奈良時代には、流刑地とされ順徳上皇、日蓮、世阿弥など政争に敗れた貴族や識者が流されていました。
しかしこのような人物達の影響は佐渡の人々に思想や文化として浸透をしていきました。

順徳上皇は歌会で気に入った歌があると土地を与えていたと言います。
その土地が天領盃酒造のある「歌代」という地区だったそうです。
歌代の人々はそれを誇りに感じ、現在でも酒蔵の住所は、加茂歌代という名前で引き継がれています。

佐渡の伝統となっている能楽

その中でも特に世阿弥の能は佐渡の文化となり、現在にも大きな影響を与えています。
酒蔵近くでも有名な能が振舞われ、観光スポットとなっています。
かつて、佐渡では五穀豊穣を神に祈り、その奉納として能を舞ったと言われます。
このように佐渡に能の文化が根付き、多い時には小さな島内に200を超える能の舞台があったと言われています。

江戸時代になると金が発掘されることが分かり、徳川家康は幕府直轄として金山の開発を行いました。
日本最大の金の産地と言われ、財政面で江戸幕府を支えたと言います。

もちろん現在でも佐渡金山の史跡として、観光の名所です。
そこには江戸から明治、そして平成の操業停止に至るまでの遺跡が、自然の中に残されています。
広い敷地に点在する坑道の跡や採掘の施設、そして製錬するまでの施設などがあり、多くが国の重要文化財と指定されています。

このように歴史的に重視された土地は、天皇による直接支配地とされ「天領」と呼ばれました。
「盃」は酒を注ぐさかずきの事で、主に神を祀るための祭具とされました。
特に佐渡の神事は、能と一体となり神社に奉納する神事能として独自の進化を遂げました。
このような事から「天領盃」は、佐渡の歴史を語るうえで欠かせない名前なのです。

天領盃酒造の前身、佐渡銘醸

このような独特な文化を遂げた佐渡島では、神にささげるための神物として酒は欠かせませんでした。
江戸時代には、酒を造るための免許などありませんでしたから、小さな規模で自家醸造を製造していたのでしょう。
そのように昔から続く小さな酒蔵が再編を繰り返しながら、天領盃の酒蔵として1983年に佐渡銘醸が設立されました。

いち早くコンピューター化

佐渡銘醸は豊富な財力を背景に、酒造りの近代化をいち早く行いました。
現在は酒造りにおいて様々な機械化がされています。
しかしこの蔵は当時としては最先端のコンピューターを導入し、酒造りの管理を行いました。
それまで人のカンで行っていたことを、機械によって効率化しようとした先駆けです。
少ない手間で、大量の酒造りを行える設備を導入したのです。
また大型の精米機を導入し、自社で全精米できるようにしました。
これによって、自在な米の磨きが可能となり、自分たちが考える酒の味を引き出すことができたのです。

しかし、その結果残念ながら安売り競争の時代に入ってしまいます。
大量に安価に製造できるメリットは、ブランドとしての魅力を失うきっかけになってしまいました。
業界用語で10対1と呼ばれる安売り競争がその一つです。
これは当時木箱で1小瓶が10本で1ケースとされていましたが、1ケース買うと1本おまけでついてくるという意味です。
その競争は過剰になり、8対1、6対1・・・などど条件競争と揶揄されました。
佐渡銘醸は良い酒を醸しながら、価格競争に陥り、こうして厳しい財政状況に圧迫されていきました。
その結果、残念ながら蔵を売却するという結論に至ったのです。

新たな敏腕経営者の登場

江戸時代には無かった酒に関する法律が、近代になってたくさん制定されていきました。
そして現在、日本酒の製造免許を取得することは容易ではありません。
産業保護という名目で、新規では日本酒を製造する事業免許の発行がおりないのです。
これは昔ながら続いてきた伝統を守るためには良いのかもしれません。
しかし、日本酒の製造に未来を夢見る若者にとっては、厄介なハードルになることでしょう。

当時若干24歳の加登氏は、世界の経済や文化を知った上で、日本酒の製造を手掛けたいと考えていました。丁度、売りに出されていたのが前身の佐渡銘醸という訳です。
加登氏はエリート歴を誇り、世界的に有名な証券会社を経ていました。
そんな彼が、元々は良い酒を造っていたのだから、価格競争を抜け出せば、魅力的な酒蔵へ変身できるのではないかとの確信に至り、2018年に酒蔵の新たな担い手となりました。

 

酒造りのこだわり

佐渡の米は、朱鷺が食べても害がないよう、農薬の使用を制限されています。
低農薬・低化学肥料で、自然の力を借りてできる米にこだわり、使用する9割を佐渡産の米に限定しています。
その結果、酒米は高精白に耐えられる、品質の高い米となったそうです。
これで酒を醸すと味、香りが良くなると言います。

仕込水には、佐渡最高峰の山、金北山からの天然水を使用します。
金北山に積もった雪が溶け、仕込水になるまで40年の歳月がかかると言われており、かつて佐渡銘醸では「40年の歳月」という銘柄があったほどです。
その水は自然ろ過され、不純物のないとても綺麗な軟水となり、酒蔵の敷地内でも蛍が飛び交うほど。
その水によって、米の旨味を残した、まろやかで優しい味の酒造りを可能にします。

もちろんかつて導入された機械と共に、人の手を入れなくてはいけない部分はしっかりと分業を行っています。
大量消費される酒ではなく、原材料の良さを見直し1本1本大切に販売をしていきたいと考えているようです。

新たな一手

香りについては、かつては独特な臭みがありました。
これは酒造りで使用する、木製の道具の劣化にありました。
そこでプラスチック素材のものに変更したところ、酒の臭みが無くなったそうです。
味についても、苦味が多かったことから、上槽までの温度を変更しました。
また機械で行っていた洗米を、手洗いに切り替えて吸水時間を変えました。
このように、ひとつひとつ変更しながら理想の酒造りに一歩ずつ近づいています。

もちろん今までの天領盃のファンを裏切らないように、守るところはしっかり守ります。
歴代のラベルもまだまだ健在です。

しかし若者にうける酒についても、新たなチャレンジを重ねています。
例えば仕込み水の代わりに日本酒で仕込んだ超甘口の酒。
原酒が16%と軽やかな味わいの酒。
また香りが出る酵母を使った酒など・・・
常に前進を続ける天領盃酒造の挑戦はこれから続きます。

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