峰乃白梅酒造(株)

地域 下越
代表銘柄 峰乃白梅
住所
新潟県新潟市西蒲区福井1833  Gooleマップを見る
URL
http://www.minenohakubai.co.jp/

峰乃白梅酒造は380年余続く全国でも屈指の歴史がある酒蔵です。
新潟清酒ブームのけん引役として活躍し、一時は入手困難になったこともあるとか。
透き通るような味わいが魅力の酒にせまります。

周囲の環境

越後一宮がある弥彦山

越後平野のほぼ中央、日本海に面して連なる峰があります。
越後一宮として信仰の対象となった「弥彦山」と地元で愛される「角田山」が峰を成しています。
四季を通してトレッキングが楽しめ、多くの登山者が訪れます。
その角田山、東側の麓である福井地区にこの酒蔵が位置します。

これらの山に降った雨は「黒御影石」の層で12年をかけて自然ろ過され、弥彦・角田山系の伏流水となります。
山の麓にあるため、天然の伏流水はとても豊富です。
蔵の裏手を流れる小川には、夏になると無数の蛍が飛び交うほどきれいな水です。
そんな清らかな水が勢いよく湧き出る井戸が、倉内にあります。
井戸からは年間を通じて10度前後の水が溢れだします。

日本海からの北風が山を越えて吹き下ろすため、冬は極寒となります。
この寒さこそ、酒を醸すのに絶好の環境となります。
美しい水と寒さこそ、旨い酒を造る環境に恵まれていると言えるでしょう。

歴史と野積杜氏

このあたりは、縄文時代の遺跡、古墳時代前期の古墳などがあることから、1万年以上も昔から人がいたとされています。
現在は山林や畑になっていますが、大沢遺跡や新谷遺跡、干納遺跡と呼ばれる多くの遺跡が発掘されています。
中には、峰乃白梅酒造のすぐ前に山谷古墳と言われる遺跡も発掘されています。
数々の遺跡の中には沼底に沈んだ縄文時代の遺跡、日本海側有数規模の集落、新潟砂丘最古の遺跡など特別な遺跡も多く見つかっています。
竪穴住居や、土坑、土器など古の遺物が多量に発見されているとか。

時は将軍徳川家光、江戸時代になると、1624年頃に峰乃白梅酒造は創業しました。
その頃は長岡藩の支藩である三根山藩の城下町として栄えていました。
峰乃白梅酒造近くには、三根山藩の拠点となった陣屋があり、この地区が要所であったことがわかります。
ちなみに丸薬の発症となった「越後の毒消し売り」として発展し、角田の行商人を多く生み出しました。
その薬は食当たりや下痢などに効いたそうで、それを持ち北前船で出稼ぎに言っていたといいます。
この辺りは北国街道筋にあって岩室温泉や弥彦神社に近いことからにぎわっていたとそうです。
そのような文化もあり、この地区を代表する「野積杜氏」という新潟を代表する杜氏集団が生まれました。

長岡藩に米百俵を贈った三根山藩

その後、戊辰戦争で長岡藩が大敗し、困窮していた時に米百俵を贈られるという歴史上の逸話がります。
長岡藩はその米を食用としてではなく、売却して、学校建設に充てたことから「米百俵の美談」として語り継がれています。
その時に贈った米の主こそ、この三根山藩でした。
このように三根山藩は財力があり、安定した環境の中にありました。
峰乃白梅酒造は、江戸時代から藩に酒を献上していたとされ、安定した収益を確保することができたのです。

昭和の変遷とブーム

かつてはこの地が福井地区であることから、福井酒造という名前でした。
戦後になり、藩が廃止されると全国の物流が活発になりました。
次第に価格競争が起こり、酒の値段が下がっていきます。
それまで安定した収入があった酒蔵は、価格競争に飲み込まれ、経営が厳しくなっていきました。

そこで当時の経営者であった星野氏は、経営路線を大きく変更します。
到酔飲料としての酒ではなく、ステータスとしての酒として高級酒の路線に変更しました。
当時では珍しく、普通酒を廃止し、製造を特定名称酒のみに搾りました。

1979年に峰乃白梅という酒名を命名しました。
漢学者より贈られた漢詩から採ったもので、品質では山頂を目指して「峰」を、味わいには清らかさを求めて「白梅」を冠したといいます。

そんな折りに「週刊朝日」で編集長だった佐々木久子氏が、幻の酒として、石本酒造の越乃寒梅を取り上げました。
新潟の地酒が全国のブームとなり、大ヒットしました。
おりしも高級化路線に舵を切ったことが影響し、福井酒造の峰乃白梅も、越乃寒梅、雪中梅と並び、「越後の三梅」のひとつとして注文が殺到しました。
そんな時には入手困難とされたこともあったようです。

こだわりと特徴

この酒蔵は、そのような歴史もあり100%を特定名称酒としています。
その後も名声に甘えることなく誠実な酒造りをしてきました。

この土地ならではの特徴としては、杜氏の影響力が大きかったことあ挙げられるでしょう。
この地区が生み出した野積杜氏と言えば、新潟三大杜氏集団のひとつとして有名です。
それはかつての「越後の毒消し売り」のように、冬場は出稼ぎに言っていた農民に由来していました。
冬場は非常に寒く、作物が取れないため、農民たちは回船で灘や伏見まで出稼ぎに行っていました。
中でも酒造りの技術を習得する者が多く、彼らがこの土地で杜氏集団を生むきっかけになったと言います。
このように峰乃白梅酒造は杜氏の里に位置しており、優秀な人材に恵まれているのです。

新たな出発

一時は入手困難とされた峰乃白梅でしたが、ブームとなった時代の投資が大きかったようです。
蔵を訪れると、まるでロケットの砲台のような大きなタンクがあります。
酒を保存するための貯酒タンクですが、現在は機能していません。
日本酒の出荷額は、昭和48年をピークに減少しており、市場規模はかつての3分の1から4分の1に落ち込んでいます。
ビールやハイボール、サワーなど嗜好の多様化により、日本酒のシェアが奪われていったからです。
同様にかつての福井酒造は、組織を変更せざるを得ませんでした。
その後新たなスポンサーとともに峰乃白梅酒造へと改組しました。

しかし、優秀な蔵人や従業員はそのまま雇用され、高品質な酒は引き継がれました。
現在では、それまでの技術を応用し、現代的でライトな風味が特徴的なお酒も造っています。
高級味な酸と、ふわりとした甘みを強調するなど、今までになかった新風を吹かせています。
それができるのは杜氏の技術力があったからに他なりません。
新しい酒を飲むたびに「さすが」と思える味は、まさに峰乃白梅酒造ならではの特徴となっているでしょう。

豊富に湧き出る伏流水

ラベルもそれまでのものと一新した、斬新なラベルが特徴的です。
日本酒というよりは、モダンなワインを想起させてくれます。
今までになかったファンを開拓する酒造りが着々と始まっています。
一方では、昔ながら技術で製造は行われています。
手による洗米や釜による蒸米。
曹をつかった袋絞りなど、手間暇かかる技術で酒が醸されています。

この蔵はもともと鑑評会などのコンクールへの参加は積極的ではありませんでした。
良い物は売れるという職人気質が、営業体制の壁になっていたかもしれません。
そこで新体制を機に、峰乃白梅が表舞台に出ていくことになります。

その結果、SAKE COMPETITION 2019にて最高賞であるGOLDを受賞しました。
SAKE COMPETITIONとは、世界唯一となる日本酒だけのコンペティションです。
このコンクールは2012年から日本酒のトレンドを牽引し、いまや世界最大のコンペティションとなっています。
ブラインド審査では銘柄を隠した状態でテイスティングされ、総合的に評価されます。
その中で各部門の上位10点しかGOLDは授与されないという厳しい審査を勝ち抜いたのです。

それらの理由で峰乃白梅酒造はまさに新しいスタートきった酒蔵といえるでしょう。
今後の商品開発にも期待が持てる酒蔵です。

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