猪又酒造(株)

地域 上越
代表銘柄 月不見の池
住所
新潟県糸魚川市新町71-1  Gooleマップを見る
URL
http://www.tsukimizunoike.com/

2000m級の山々を背にした自然豊かな地、新潟県糸魚川市早川谷に猪俣酒造は位置します。
創業は1890年、代表銘柄は「奴奈姫(ぬなひめ)」と「月不見(みず)の池」。
その両方の名前がなぜこの酒蔵にふさわしいのかこのページで説明をしたいと思います。
この酒蔵では蔵人自らが栽培した酒米を使い、早川の伏流水で仕込んだ日本酒を製造しています。

奴奈川姫とヒスイの歴史

糸魚川市は、富山県との境で新潟県の最も西に位置し、日本海に面した市です。
学生の時に地理の時間に習う、フォッサマグナ(糸魚川静岡構造線)が通り、日本の東西を分岐する珍しい土地柄です。

フォッサマグナは、日本の大陸を曲げたほどの大規模な地殻変動です。
北アメリカプレートとユーラシアプレートがぶつかっており、地下6000mには巨大な岩盤が動いていると言われています。
そしてこの大きな地殻変動の産物として、天然ガスや石油、そして宝石のひとつであるヒスイが生み出されます。
現在見つかっているヒスイの中には日本が誕生するはるか昔の5億年前の石と言われるものもあるとか。

世界的にも珍しいヒスイは深緑の半透明な宝石で、縄文時代や弥生時代には金よりも重宝されていたと言われています。
昔、糸魚川地方を治めていた奴奈川(ぬながわ)姫がヒスイの勾玉(まがたま)をつけていたとされています。

奴奈川姫は伝説の人物と言われ「古事記(こじき)」や「出雲風土記(いずもふどき)」などの古代文献に記されています。
現在の福井県から新潟県を治めていたとされ、かなりの政治力のあった人物だっとされます。
この政治力の源こそが、ヒスイを支配していたことが理由として考えられています。

ヒスイは当時国内に大きな影響力を持っていました。
非常に壊れにくいことから石器武器の材料ともされていました。
中国では、他の宝石よりも価値が高く、腕輪や器、置物などに加工されました。
また一部の地域では、不老不死や生命の再生をもたらす力を持つと信じられたこともあったようです。
秦の始皇帝や中南米の王族の遺体もヒスイで覆われていたとか。
日本でも祭祀・呪術に用いられたり、装身具や勾玉などに加工され珍重されていました。

島根県(出雲)から糸魚川のヒスイが見つかったと言われていますが、ヒスイにより奴奈川姫は遥か彼方であった出雲大社と関係を構築していたようです。

それを裏付けるように、古事記には出雲の大国主神が奴奈川姫と結婚したと書かれています。
また、姫を祀ったとされる石祠や人工的な塚が見つかっています。

このような伝説を持つ糸魚川は、ヒスイが発掘される土地として、全域がユネスコ世界ジオパーク(糸魚川ジオパーク)に指定され、観光施設も整備されています。

猪俣酒造の在る地域は、大国主大神の妻であった奴奈川姫がいたとされる場所であり、その歴史を「奴奈姫」として酒の銘柄にしています。

月不見の池(つきみずのいけ)

もう一方の主要銘柄である「月不見の池」は昭和初期に誕生した酒名です。
蔵から近い山中にある天然池の名前を由来としていて、観光地になっています。

国立公園である火打山などの山々から流れ出た伏流水が湧き出て、この池が形成されました。
近くには高さ80メートルもの巨岩が立ち、この地域一帯に奇岩や怪岩が点在しています。
これらは太古の昔、山が動く隆起時代に、火山活動などによって生まれたものだといわれています。
珍しい石の割れ目や、奇石、巨岩の自然を活かし、四国巡礼と同じように88体の石仏を巡回する参道があります。

江戸時代末期に地域の人たちが、四国まで行かなくてもここを巡礼することで平穏で幸福な人生が送れることを願って、15年かけて完成させたそうです。
四国の寺院の土砂が石仏の下に敷いてあるのなど随所に工夫があり、当時の相当な努力が垣間見えます。

そして池の周囲には、五月下旬から六月上旬にかけてたくさんの藤の花が咲乱れます。
この池には昔、村人たちが集まって、酒を酌み交わしていました。
昔は月を直接見るのではなく、池や水に映った月を眺めて楽しんだのだそうです。
しかしこの池では、藤のつるや枝が水面にまで届き、あたり一面藤の花が夜空を覆い、月を隠してしまうことから月の見えない池「月不見の池」(つきみずのいけ)と呼ぶようになったと言われてます。

猪俣酒造では、このような地元の資源を生かし、その趣ある分化的な池の名前から「月不見の池」として酒の銘柄にしています。

酒造りのこだわりと特徴

日本の国税庁酒類鑑定官で、戦前戦後を通し新潟県の日本酒業界を指導した偉人田中哲郎という人物がいました。
彼がいなければ、新潟県のお酒の人気が出ることは無かったと言われています。

田中はそれまでの木桶造りから、現在のホーロータンクによる酒造りを積極的に指導しました。
それにより、格段に酒の品質が向上したと言われています。
中でも石本酒造の指導には積極的で、その後、石本酒造が「幻の酒」と言われるようになった立役者でもあります。
青木酒造、朝日酒造、石本酒造、伊藤酒造、君の井酒造、金鵄盃酒造、越の華酒造、小松原酒造、笹祝酒造、高野酒造、田原酒造、八海醸造、原酒造、樋木酒造、武蔵野酒造、そして猪又酒造と新潟県内16蔵の製造指導を行いました。
その指導や生き方などは、あまたの著作物を通して後世に継がれています。

猪俣酒造では、先代の社長が田中哲郎に心酔しており、田中氏が立ち上げた研究会にも参加をしていました。
その心酔ぶりは息子に「哲郎」と名付けるほどでした。
ゆえに現在の4代目の当主は猪又哲郎氏であります。

またその研究会のつてで、石本酒造(代表銘柄:越乃寒梅)から杜氏を紹介してもらい、技術指導を受けたそうです。
麹造りに重きを置き、その際に麹室を作り換えたのだそうです。

とは言えど、設備は昔ながらの和釜に甑、10㎏の箱麹法と昔ながらの手造りの製法です。
しかしこの蔵にしかない特別なノウハウにより、この蔵だけにしか造れない旨い酒となるのです。

その理由のひとつとして猪又酒造では、米作りから行っていることが挙げられます。
通常は酒米は、農家や農協などから買い付けを行います。
しかし主力となる「五百万石」「越淡麗」「たかね錦」の3銘柄は、全て蔵人自身が栽培をしています。
蔵人は春から秋までは専業農家として米を造り、冬はこの蔵で酒の仕込みに携わっています。
この地域は昼夜の寒暖差が大きい谷合の気候のため、良質な米ができます。

農家であり蔵人であるからこそ、造る酒に合わせて最適な米が収穫できるし、自ら育てた米を酒にするから造り手の思い入れは大きくなります。
作った者にしかわからない米だからこそ、よりいい酒になるのではないでしょうか。

またこの蔵は新潟では珍しく、いち早く純米酒に傾注していった酒蔵です。

 

新潟は普通酒や本醸造の比率が高く、新潟全体が純米酒に力を入れていったのは2000年以降です。
しかし猪又酒造は1965年からすでに純米酒造りに大きく舵を切ったといいます。

そのため純米づくりのノウハウをいち早く得ることができたため、その酒を熟成させる独自のノウハウを形作ることができました。
米本来の味を生かして造られた酒は、熟成によって柔らかな味わいとなります。
純米吟醸などは1年以上熟成した酒しか出荷をしないとか。
猪又酒造のお酒は熟成によってより美味しくなる酒と言われる所以です。

以上の理由により、猪又酒造でしか飲めない熟味の旨い酒「奴奈姫」「月不見の池」が醸されるのです。

受賞歴

1995年 全国新酒鑑評会 金賞受賞
1996年 全国新酒鑑評会 金賞受賞
2000年 全国新酒鑑評会 金賞受賞
2001年 全国新酒鑑評会 金賞受賞
2004年 全国新酒鑑評会 金賞受賞
他多数受賞歴あり。

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