弥彦酒造(株)

地域 下越
代表銘柄 こしのはくせつ
住所
新潟県西蒲原郡弥彦村上泉1830-1  Gooleマップを見る
URL
http://www.yahiko-shuzo.jp/

弥彦の環境と弥彦神社

眼下に日本海と新潟平野を一望する越後の名峰、弥彦山。
その麓には越後一宮である彌彦神社と、まさに自然と神の恩恵を授かった山の麓である「泉」と呼ばれた地に弥彦酒造はあります。

弥彦山は越後平野の日本海沿いに連なる山並みの主峰にあたり、国定公園に指定されている山です。
この山は、海岸よりいきなり突き出したような形をしており、山の裏手はすぐ崖になっています。
山頂まではロープウェーが通っており、そこからは海岸線と新潟県の広い地域を見渡すことができます。
特にそこから見る佐渡島に沈む夕日はとても美しいと評判です。

麓には越後の国の一宮として弥彦神社があります。
一宮神社とは、ある地域で社格が最も高いとされた神社のことです。
新潟には全国で最も多い4000を超える神社がありますが、その名でも最高位のひとつです。

一宮が定められたのは、平安時代と言われています。
当時の国司と呼ばれる国の重要な役人が参拝をする重要な神社として一宮が存在していました。
その時の法律である令制国の中でも、この神社は由緒があり、格式が高かったようです。

神武天皇の勅命により、高志国(こしのくに)を治めたのが、天香山命(あめのかぐやまのみこと)と言われています。
高志国(こしのくに)は現在の石川県から新潟県までと広い地域に渡り、高志が越と変化して、越前、越中、越後に分かれたと言われています。

天香山命は、紀州熊野から船で日本海を渡り、弥彦の近隣である野積浜に上陸をしました。
そして弥彦に住み、漁民に塩をつくる技術や、網と釣り針を使った漁業を教えたとされます。
さらに蛮族を平定し、住民に稲作や酒造りの技術を教えたと言われています。
以降、その文化が継承されて越後地方の産業文化の基礎となったそうです。

かくしてこの地域は潤い、地域の主であった天香山命を弥彦神社では祀っています。
現在では弥彦山全体が弥彦神社の神域となっており、古くから人々の崇敬を集め、親しみをこめて”おやひこさま”と呼ばれています。

この山には昔ながらにそびえる神奈備の森と呼ばれる場所があり、万葉集でも詠まれている歴史があります。
彌彦神社の境内は樹林に覆われ、神々しい老杉や欅がその佇まいを見せます。
朱色の鳥居をくぐると、弥彦山からの清水のせせらぎが聞こえます。
まるでもののけ姫に描かれているような景色で、荘厳な雰囲気がある神々しい山と言えるでしょう。

泉のごとき酒造り「泉流醸造法」

弥彦酒造は、1838年に多賀佐七郎が創業しました。
1848年には初代が独自の酒造法である「泉流醸造法」を確立したと言います。
当時は画期的な醸造法とされておりました。

以来、その醸造を習いたいと多くの蔵人が弥彦酒造に弟子入りを求めたそうです。
今では新潟を代表する蔵である、朝日酒造もその中のひとつであったとか。
長年にわたり数百人の蔵人を育てたと言われています。
泉流の流儀を習得した蔵人は、多くの蔵で杜氏となって活躍したことから「出世蔵」と称されてました。
酒の味は新鮮な泉から湧き出る水のようで、口の中で雪のように消えていく爽快な飲み口は、唯一無二とされました。
またこの泉流には、「多くの石数を造らず必ず精醸を期す」という哲学がありました。
どんなに売れても、自分の目の届く範囲の量で酒造りを行い、儲けよりも品質を第一にするとの考えです。
弥彦酒造はそのような教えと由緒を持つ蔵なのです。

しかし、時代の進展とともに、製造技術の発達がありました。
それまでの時代では考えられなかった機械が導入されました。
連続蒸米機、自動生麹機、サーマルタンクなどの設備により、酒造りは大量生産化の時代になり、いつしか泉流は下火になっていきました。
その後、泉流の製法はあまりの手間の多さに受け継ぐ者がいなくなってしまったとも言われます。
また地元では放蕩息子が散財してしまったりという噂が流れました。
このような理由で、弥彦酒造の規模は縮小を続けていきます。
しかしせっかく地元の宝であるこの酒蔵を残したいということで、2000年代に地元の大企業である新潟運輸が子会社化するに至ります。

筆者は小会社化以前の弥彦酒造を知っています。
確かに口の中で雪のように消えていく酒であり、実に爽快な酒でした。
頂戴した酒かすは、粕というより液状のものでほとんど酒だった記憶があります。
非常に繊細で贅沢な酒造りを行っていたことでしょう。

製造の全てを弥彦産で

それまでの多賀家の運営であった弥彦酒造から、段階的に営業方針が変わりました。
その際に入蔵したのが、大井源一郎氏です。
彼は多賀家の血筋ではありませんが、本来の泉流の根源的な考えであった「丹精込めた泉のごとき酒造り」を実践しています。

大量生産するような設備は導入していません。
受け継ぐものがいなくなってしまった昔ながらの手間のかかる作業で、少人数での酒造りに励んでいます。

また何よりも地元を大切に考え、地元の住民と一緒に酒造りに取り組もうと努めています。
それは一宮である弥彦神社の御神酒を造る蔵としてのプライドがあったのでしょう。
弥彦神社が地域を守るがごとく、この酒蔵も地域の一環となり弥彦に根差そうと考えているのかもしれません。
そのため米から酒まですべて弥彦産で製造を行う「彌彦愛國プロジェクト」を実践しています。
地元の農家や酒販店、農協など多くの有志が集い、難題を克服しながらの酒造りに挑戦しています。

「愛国」とは酒米の名前で、弥彦酒造ではもちろん弥彦産の米を使用します。
現在の三大酒米の品種と言えば、「山田錦」「五百万石」「雄町」が挙げられます。
しかし明治時代まで三大酒米と言えば「亀の尾」「神力」そして「愛国」と言われていました。
玄米が円粒で、病気に強く、安定して成長した品種であることから関東を中心に広く普及した酒米なのだそうです。
愛国はその後品種改良され、コシヒカリやササニシキ、ヒトメボレなどの有名な飯米となったというから驚きです。
しかし背丈が高く、稲が伸びすぎて倒れてしまうことも多く、いつしか使用されなくなり幻の酒米とされていました。

弥彦酒造では、新潟県の研究センターに保存されていたそんな幻の酒米である愛国の種子を農協と協力し、育て上げました。
その種籾を地元の弥彦の田んぼに植え、古代米とされた愛国を現代によみがえらせたのです。
弥彦酒造ではこの米を減農薬でさらに無化学肥料で栽培したものを使用します。

酒造りに欠かせない原料として酵母の存在も欠かせません。
酵母は弥彦山頂に1本しか自生していない「弥彦桜」の花びらや樹皮から見つけた天然酵母を使用していると言います。
天然でしかも酒に合う酵母を見つける確率はほぼ不可能です。
この蔵には弥彦の神様が舞い降りたのかもしれません。

現在の弥彦酒造と大井源一郎氏

現在、この酒蔵を支えているは間違いなく、大井源一郎氏でしょう。
見た目は豪快でパワフル、そして感性は豊かで繊細。
元々目指した道ではなかったかもしれませんが、彼はまっすぐひたむきに酒造りに励んできました。
また他の酒蔵と連携し地域酒文化の盛り上げ役としてまい進しています。

豊かな感性の持ち主として、弥彦の幸を盛り込んだ酒蔵ジェラートの開発にも勤しみました。
弥彦の名産と言えば、新潟で最高級のイチゴと言われる越後姫があります。
だだ茶豆に匹敵するほどの弥彦茶豆。
他にも巨峰など多く地元のグルメ食材があります。
これをどうにか生かせないものかと、一級酒造技能士の蔵人が造るジェラートを考案し、見事にヒットしました。

彼はあえて製造量を増やそうと考えていません。
製造量を無理に増やすことは、品質の低下に繋がると考えているからです。
同様に考える酒蔵は全国にも散見されます。
それは儲けを求めないという、企業として相反する姿勢に見えるかもしれません。
しかし弥彦酒造では、多賀家の時代より伝わる「多くの石数を造らず必ず精醸を期す」という哲学を誰よりも守り、継承しているように見えます。
今後の弥彦酒造と大井氏の活躍に期待したいところです。

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