加賀の井酒造(株)

地域 上越
代表銘柄 加賀の井
住所
新潟県糸魚川市大町2-3-5  Gooleマップを見る
URL
http://www.kaganoi.co.jp/

360年以上の歴史、何度倒れても立ち上がる不屈の銘醸

歴史と伝統

加賀の井酒造は新潟県で最古級の歴史ある酒蔵です。
創業は1650年、その頃から湧き出した井戸を360年以上も使用しており、その味こそが加賀の井の味の秘訣となっております。

小林九郎左ェ門が創業し、蔵主は代々小林家でありました。
小林酒造店とも名乗っていた時期がありましたが、その後加賀の井酒造と改名されます。

本来「加賀」とは現在の石川県ですが、加賀藩主の前田利常が好んでいたことが由来となり、新潟においても「加賀」の井と名付けられました。
その後、献上酒として数々の功績を残してきた由緒ある酒蔵となりました。

糸魚川の中心街に立地したこの蔵は、古今に渡り交通の要所にありました。
その町並みには、歴史を伝える雁木の通りがあり、絶好の観光ポイントだったようです。
加賀の井酒造は、観光蔵として蔵の中を開放しており、色とりどりのお酒が並べられ、試飲できる施設も設けておりました。
多くの観光客が訪れ、加賀の井のお酒を味わっていたとのことです。

2000年以前は小林社長と数名の従業員が酒造りを行っていました。
2000年中盤になると大学を卒業した社長の長男である大祐氏が父親の仕事を助けるために、蔵に入りました。
従業員と共に、彼は酒造りから営業までこなすようになっていきました。
父と息子で酒造りを行う、幸せな酒蔵のように見られていたでしょう。
まさに父と息子で醸す美酒でした。

地域の風土と味の特徴

糸魚川市は、新潟県の最西端に位置し、日本海に面した市です。
糸魚川静岡構造線(フォッサマグナの西端)が通り、日本の東西の境界線上に位置する珍しい土地柄です。
世界的にも珍しいヒスイの産地として有名です。
ヒスイは深緑の半透明な宝石で、古代は金よりも重宝されていたと言われています。
日本が誕生するはるか昔の5億年前の石と言われています。
そんな貴重な石が発掘されるため、糸魚川の全域がユネスコ世界ジオパーク(糸魚川ジオパーク)に指定されています。

また糸魚川は景勝地として、不知・子不知(おやしらず・こしらず)が有名です。
そこは市の西端に位置する崖が連なった地帯です。
古くから交通の難所として知られ、親や子供が大波に飲まれることもあったためそのような名前になったのだとか。

このフォッサマグナ、そして断崖からわかるように、糸魚川は特殊な地層の上に成り立っています。
それゆえ糸魚川の湧き水には、大量のミネラル分を含み、硬水と呼ばれています。

一般的には新潟の酒は淡麗辛口の”キレ”のある酒と言われますが、それは雪解け水から生まれる軟水で仕込まれる酒だからです。
一方、この地にある加賀の井の味は硬水の旨味を引き出した酒となります。
そのため、やわらかな”旨味”や”コク”が特徴となります。

突然の事業停止

1650年から続き、長く地元に愛されてきた加賀の井酒造でしたが、2000年頃には足元に暗雲が立ち込めていました。

当時は酒の販売免許が緩和され、酒を買う場所が「町の酒屋さん」からスーパーやコンビニに大きくシフトした時代です。
加賀の井酒造の得意先は、町の酒屋さんが多かったため、酒屋の廃業に連れて、売り上げが低迷していきました。
2億5千万円あった売り上げは減少の一途をたどり、ついに1億円を下回ってしまいました。売上が大きく落ち込み、かつ、負債が総額4億5千万にも及び経営を圧迫したのです。
2006年、加賀の井酒造は残念ながら一時事業を停止し債務整理という手段を選ばざるをえませんでした。

彼らは全従業員を解雇、そして事業を中断しました。
すぐに債権者集会が開かれ、小林社長の親子は説明責任を負うことになります。
若干24歳の大祐氏はこの頃、長く続いてきた会社を倒産させないためにはどのようにするべきかここで多くの事を学んだと言います。

その結果彼らの出した結論は、支援企業を探して再建をさせる道でした。
加賀の井酒造は酒造りを決して諦めなかったのです。

その後、幸運なことに支援してくれる企業が見つかりました。
再建案として、父である社長が代表から退く事。
そして大祐氏が蔵の代表になることでした。
従業員を雇わず父と息子二人で事業を行うことで、事業の見通しを立てなければいけませんでした。

支援企業からの紹介もあり、大祐氏は百貨店の催事場などで売り子として店頭に立つ機会が増えました。
お酒を試飲をしてもらい、お客さんの財布を緩やかにする技術を持つには大変な苦労があったことでしょう。

後に彼は「お客さんにおいしいと言ってもらえたときの嬉しさが一番の幸せでした。」と言います。
本来苦手な営業を克服し、お客さんに喜んでもらえたからこその言葉かもしれません。

彼は加賀の井のハッピを着て日本全国駆け回りました。
現場で生のお客様の声を聴き、「こんな味ができないか」と父親とよく話をしたそうです。

試行錯誤を重ねて、加賀の井の味は再び認められるようになっていきました。
徐々にお客様に味が認められ、会社としても黒字化を果たすことができたそうです。そして10年をかけて売り上げを元の水準まで戻したのです。
加賀の井酒造は無事に再建を果たし、ついに光が見えてきたその時でした。

「糸魚川の大火」により全焼失

2016年12月22日 新潟県糸魚川市 の中華料理店 から火災が発生しました。
木造住宅の密集地域に加えて、フェーン現象による強い南風により炎は広がり、 約40,000㎡にわたり30時間以上延焼続けました。
被害総額は10億円以上となり、 単一出火の延焼による火災の規模としては過去最大級の災害となりました。

2016年暮れも押し迫る12月22日、不注意から起きた火災は糸魚川市の中心街一帯を包みこみました。炎は30時間以上も燃え続け、当該地区一帯を焼けつくしました。

新潟県で最古級の360年の歴史を持つ加賀の井酒造も全焼し、ニュースの的となりました。火の勢いが猛烈で消火は追い付かず、せめて延焼を防ぐために倒壊させるしか手が無いほどでした。
それまで観光の拠り所であった雁木の並木道も、観光施設も、360年以上続いた井戸も、父と息子で守ってきた酒蔵もすべて焼け落ちました。

大祐氏は34歳にしてまたしても、重大な決断を迫れる事態となりました。もちろん彼は、蔵を存続させる道を選びます。

その大きな支えの一つとなったのが、弟の入社があったことのようです。
サラリーマンとして働いていた彼は、前職を12月末付で退職することになり、有給消化中に糸魚川に戻ってきた丁度その時、酒蔵は火事に包まれ、焼け落ちてしまいました。
後に大祐氏は「二人だから『またやろう』と思えたのは確かです」と語っています。
そんな波乱がありましたが、このようにして父と兄弟3人が力を合わせて蔵の再建に取り組みを始めまることになります。

とは言っても、蔵が無くなった後は売る商品も、酒を造る場所もありません。
大祐氏は支援企業と話し合いを続け、他の酒蔵の製造設備を借りて酒造りを行いました。
また、酒の製造が間に合わない時には、副産物である酒粕やTシャツ、お米の販売に尽力しました。
また酒造りの技術を学びに岩手県の酒蔵へと修行にも行きました。
「東日本大震災で被災した蔵をゼロから作り上げる過程を聞いてきました」と述べていた通り、加賀の井酒造の復活のために技術を磨いていたのです。

それらの模様は多くのメディアに取り上げられ、全国からこの親子を応援するメッセージがたくさん届きました。

なぜそんな苦労をして加賀の井を存続させる決断をしたのかと理由を聞いたところ「お客さんの喜ぶ顔が見たかったんです」と恥ずかしそうに答えてくれました。

2018年新社屋完成と新たな問題

加賀の井酒造は多くの会社や親会社の支援で2018年に復活を遂げました。
新たな酒造りを本格始動できる体制になったのです。

工場は低コストで抑えるため、最小限の設備投資に留め、少人数でも無理なく稼働できる設備にしました。コンパクトですが、効率的な工場だと、大祐さんは自負します。

最初は工場の稼働時にはたくさんのトラブルに見舞われました。

・換気扇が動かなく、米を蒸した蒸気を排出できなかったこと。
・大切な用具を買い忘れて、スケジュールが遅れたこと。
・時間読みができず、米がうまく水を吸ってくれなかったこと。
・それらが原因で親子喧嘩をしたこと。などなど。

色々な問題がありながら、初めての出荷を迎えました。
初回の注文は、全国から大量の注文がはいりました。
大手の流通業者がこの蔵を助けるためにと、多くの注文を出してくれました。メディアでも取り上げられ、一般の消費者からの問い合わせも増えました。

しかしコストを抑えた新工場は、大量注文をこなせるような体制にはありませんでした。
例えば酒に貼るラベルは、全て手張りです。
機械で行う何倍もの時間がかかってしまいます。
倉庫は狭く、荷捌き所も十分ではありません。
その中、彼らは納期を守るため寝る間も惜しみ、徹夜での作業を続けました。
稼働後はほとんど寝れなかったと聞きます。

次第に過大な注目と世間の期待が彼らのプレッシャーとなっていきました。
慣れない日々が続き、気づけば親子、兄弟との間に溝ができていきました。
そして残念ながら、二人三脚と称賛された兄弟の作業は、弟が蔵を辞めるという結論に達してしまいました。

原料米のこだわり
小林氏は新潟県産米にこだわりを持っています。
硬水の持つ「旨味」と「コク」。
そして海産物が多い糸魚川の食べ物に合うように「キレ」を酒に持たせたいと言います。長きに渡りこの地に根差し、特徴的な水に合う、最適な米を模索しています。

米は出品用の大吟醸など一部の商品以外は、全て新潟県内産米を使用しています。
今後は100%県内産に切り替えていく予定とのことです。

受賞歴

昭和51年
第23回 関東信越国税局  清酒鑑鑑評会 首席第1位 優勝
昭和54年
第29回 関東信越国税局  清酒鑑鑑評会 首席第1位 優勝
平成 6年
第27回 新潟県酒造従業員組合連合会 清酒品評会 優秀賞
平成 8年
国税庁醸造研究所 全国新酒鑑評会 金賞
その後多数受賞歴あり

観光施設について

現在は観光施設として、酒蔵を見学できるようになっています。
外部の見学通路から施設内部を見学が可能です。
予約をすると、スタッフによる案内をしてもらったり、試飲することもできるので、近くにお寄りの際はぜひご覧ください。
※臨時休業の場合がございます。

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外部リンク

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