金升酒造(株)

地域 下越
代表銘柄 金升
住所
新潟県新発田市豊町1-9-30  Gooleマップを見る
URL
http://kanemasu-sake.co.jp/

1822年創業の金升酒造は、新潟県新発田市の酒蔵です。
少ないながらも、地元とともに造る、地元に根差した酒造りを信条としています。
この蔵独自のユニークなアイディアや発想は新たな日本酒の在り方に繋がるでしょう。

地域の環境

新発田市は越後平野の北部に位置する、新潟県北部の中核都市です。
北西部には日本海に面した白砂の海岸である藤塚浜海岸が広がっています。
海岸前にオートキャンプ場があり、夏には多くの観光客で賑わいます。
東部には飯豊山、二王子岳などの山々がそびえており、この地の水源となっています。
その飯豊山系を水源とした加治川が流れており、この川に沿って水田が広がっています。
飯豊山は花崗岩で形成されており、この地帯を流れてきた水は浄化作用され、清らかさが保たれていると言います。
そのためこの土地の水道水はとても美味しいとか。
金升酒造ではこの飯豊連峰の良質な伏流水を仕込み水として使用しています。
また水田から造られる米により、県下有数の良質なコシヒカリの産地としても知られています。
山中にはかつて鉄鉱石が採掘された赤谷鉱山と呼ばれた地域があり、採掘された鉱石を運ぶために鉄道が轢かれていました。
線路を雪から守るスノーシェッドの姿は現在でも、観光用に保存され、神秘的な姿を見せてくれます。
加治川ダムまで続くその姿は、多くのブログやツイッターなどで紹介されるほどです。

新発田の歴史


歴史的には、新発田藩の城下町として栄えてきました。
町の中心には新発田城が建設され、外様大名である溝口家が統治していました。
そのため、この城を中心として歴史的な建築物が多数あり、今も城下町当時の区割りや道、新発田川などの水路がかつての姿をとどめています。
有名な藩士としては、赤穂浪士の討ち入り四十七士の一人である堀部安兵衛がいます。
四十七士随一の剣客で、吉良邸討ち入りでは江戸急進派と呼ばれる勢力のリーダー格とされた人物です。
戊辰戦争の際は、一時奥羽越列藩同盟加盟に加わるも、維新軍が有利になってくるとうまく立ち回り、西軍に参画しました。
小藩でしたが、戦火に見舞われることなく、安定した政治が行われたそうです。
そのため、新発田は商業都市として発展していきました。
ちなみに現在の新発田市の市章にも、溝口家の家紋である溝口菱がそのまま用いられています。
その後、新発田城址には軍隊が置かれ、現在でも自衛隊の駐屯地が置かれています。

新発田の桜

新発田城址公園は市のシンボル的な公園であり市民の憩いの場となっています。
毎夜城の建物がライトアップされ、春には桜の名所となり、多くの観光客が訪れます。
5万2000平方メートルという広大な敷地の中に、100種類、約300本の桜が植栽されています。
黄色い桜や緑色の桜など珍しい品種の他、秋から冬にかけて楽しめる桜もあり、四季を通じて自然が楽しめます。
江戸時代から残る美しい城壁や表門と、桜の共演が見れる全国でも有数の桜の名所です。

高橋酒造店としての始まり

1822年に新潟県新潟市で初代高橋善之助が高橋酒造店を創業しました。
やがて1919年三代目が、現在の地であり、当時は旧新発田藩主である溝口家の菜園の跡地への移転をしました。
菜園では、薬用植物を植栽しており、薬草園とも言われています。
薬草園とは、聖徳太子が薬草栽培をしたといわれるほど、伝統的な設備で、江戸時代には徳川幕府は小石川薬園を建設しました。
現在の薬科大学や、製薬会社の基となった施設でしょう。

そのほかに高橋酒造店が新発田への移転の理由として、以下の理由がありました。
・水が確保できる場所
・水運や陸運など交通の要所であること
・米の産地の中央であること
・商業地域であること
・優秀な人材が集まる場所
などです。
この地に移転した理由は、それらの事項が合点する場所であったのでしょう。

金升酒造への改組と歴史

1930年に現在の工場が完成し、屋号にちなんで金升酒造株式会社となりました。
蔵元の屋号である金升は「長さは尺金で測り、嵩(かさ)は升で量るように、正確で正直なモノづくりや商売をする」と云う意味を持つところから名付けられたそうです。
1940年には県内でも珍しい単式・連続式の蒸留施設を共に有する工場を増設し、焼酎類の製造を開始しました。
しかし1944年第二次世界大戦の戦況悪化に伴い、当時の国策により清酒製造を中断します。
終戦を迎えた1945年、進駐軍駐留を背景に洋酒の需要拡大を見込んだ四代目がウィスキー蒸留免許を取得し、KINSYO WHISKYの銘柄で製造しました。
1958年には、全国でもっとも早く清酒の四季醸造を開始します。
日本でも屈指の設備を持ち、新潟県でも唯一の施設がある独特な酒蔵でした。
特にリキュール類の開発力には定評があり、牛乳と日本酒をブレンドした「ぐるっ酒」は人気がありました。
しかし日本酒人気の低下や、し好の多様化、流通の変化により、一流の技術を生かせる売り場が無くなっていきました。
そして残念ながら2008年に民事再生法の手続開始を行います。

新たな出発

新たなスポンサーが支え、金升酒造は2010年に経営体制を一新しました。
ウイスキーなどの免許を返上し、清酒造りに絞った製造にシフトしました。
以降、2015年までに、清酒を定番銘柄「碧ラベル」「朱ラベル」と純米銘柄「初花」に統一しました。
2017年には地元農家と共同で農業法人かなう会社を設立し、酒米の自社栽培に本格的に取り組み、地産製造の一貫した酒づくりに力を入れています。

また、古くなった酒蔵をリノベーションし、2014年に蔵カフェをオープンしました。
庭園見学も行なえるように、観光施設として整備を行い新たな顧客開発に取り組んでいます。
もともとこの場所は旧新発田藩主である溝口家の菜園でした。
中庭には木々が四季折々の表情を見せる立派な庭園です。
歴史の詰まった建物からはレトロで風情のある景色が楽しめます。
この蔵カフェでは金升酒造の酒や麹の甘酒、スウィーツやおつまみなどが楽しめます。
特に「蔵まつり」と呼ばれる蔵を一般の人に解放したり、イベントや撮影ロケ地としても活用するように変革を行いました。

地産製造の取り組み

金升酒造では、地産製造の一貫した酒づくりに注力しています。
まずは安心安全で高品質な地元産酒米の安定確保を目指しています。
次に地位の課題を解決するべく、別会社を設立。
農業の高齢化・後継者不足等の問題に取り組んでいます。
その一つが、中山間地での米作りです。
自然堆肥が豊かで、飯豊山系の綺麗な水が大量にあり、効率的で淘汰されやすい農業になるといいます。
金升酒造ではそのような土地で酒米を耕作しています。

地元商工会議所の発案により2003年から、「おれたちが仕込んだ酒」プロジェクトがという企画があります。
参加者は酒米である「五百万石」の田植えの時期から、秋の稲刈り、そして酒の仕込みにいたるまでのプロセスを体験することができます。
こののような企画などを通じて、製造者と消費者が交流を深めるようになりました。
2017年以降、純米酒造りをメインにリニューアルし、「おれたちが仕込んだ酒 純米大吟醸 初花」として出荷・販売をしています。
地元の作家が描き下ろしたイラストをあしらったパッケージも好評です。
2020年にはソムリエと杜氏のコラボによる日本酒を企画しました。
小規模生産ワインの「ドメーヌ」的発想で、酒米の特徴をフルで生かす日本酒を造ります。
シャトーは大規模な生産設備のイメージですが、ドメーヌは小規模な生産スタイルであり、金升酒造では、あえて小さく造ることにこだわりを持っています。
この企画ではソムリエが選び、杜氏自らが耕作する一枚の田んぼから獲れる酒米だけを原料に日本酒を製造するというユニークな企画を立てています。

このように金升酒造は少数精鋭ながら、地酒の独自路線を開拓。
今までなかったユニークな目線と取り組み新たな顧客を開拓しています。

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外部リンク

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